大阪地方裁判所 昭和41年(ワ)1090号 判決
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〔判決理由〕一 請求原因(一)の事実中、被告らが芳松の相続人であること、原告らが昭和三四年二月九日に芳松から別紙目録記載の土地三筆を代金三、五七六、〇〇〇円で買受け、その際手付金として芳松に金五〇〇、〇〇〇円を交付したことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、原告らは宅地の造成および住宅の建設販売を業とする者であり、右宅地造成および住宅建設の用に供するため別紙目録記載の各土地を買受けたものであること、そして右売買契約においては原告らは遅くとも昭和三四年末までに右土地の売買代金を芳松に支払うこと、なおとくに芳松において金員を必要とする場合には原告らに対し何時にても右代金の支払を求めうること、芳松は同目録記載一、二の土地について農地法五条に定める大阪府知事の許可あり次第原告らに対し右土地の所有権移転登記手続をすること、同目録記載一の地上に存する樽井修ら所有の肥料溜は芳松においてこれを撤去することをそれぞれ約していることが認められる。前掲乙第七号証および被告笹部芳松本人尋問の結果(第一回)中右認定に反する部分は信用せず、他に右認定を左右するにたる証拠はない。
二 そこで芳松に原告ら主張の債務不履行もしくは不法行為が存在したか否かについて検討する。
(一) 請求原因(二)の事実中、昭和三四年一〇月六日までに原告らが芳松に対し売買残代金全額の支払を完了したこと、芳松が大阪府知事に対し別紙目録記載一、二の土地について農地法五条に定める所有権移転許可申請手続をなすため同月五日豊中市農業委員会に申請書を提出したところ、同委員会は原告らに対し昭和三五年六月二五日に同目録記載一の地上の肥料溜を撤去し、かつ同目録記載一、二の土地のうち大洋建設が日本住宅公団が建設現場の現場詰所用地として使用している部分についてはその返還を受けこれを早急に農地に復したうえ再申請をするよううながして前記申請書を返戻したこと、その後原告らが前記詰所用地の返還を受けたこと、昭和三八年二月四日原告らと芳松が大阪府知事に対し農地法五条に定める許可申請手続をなし、同年五月二四日右許可を受けえたこと、そこで原告らは直ちに芳松に対し同目録記載一、二の土地の所有権移転登記手続を求めたところ、芳松がこれを拒絶したため原告らは昭和三八年七月芳松に対し所有権移転登記手続を求める訴訟を提起したこと、大阪地方裁判所は昭和四〇年四月一六日原告勝訴の判決を言渡したところ、芳松はこれを不服として大阪高等裁判所に控訴したが同年一一月八日原告らと芳松との間において原告ら主張のごとき内容の和解が成立し、その頃原告らは右和解にもとづいて同目録記載一、二の土地の所有権移転登記を了したこと、以上の事実は当事者間に争いがない。
(二) そこで先ず前記許可申請書が豊中市農業委員会により返戻されたことにつき芳松がその責を負うべきか否かについて判断する。<証拠>によると、前記申請書が豊中市農業委員会によつて返戻された主たる原因は同目録記載一、二の土地の一部が農地法五条に定める大阪府知事の許可を得ないまま日本住宅公団建設現場の現場詰所用地として使用されていたことにあることが認められる。従つて右土地を原状に復さないかぎり肥料溜の撤去が完了していたか否かにかかわりなく右申請書は返戻を免れなかつたものといわなければならないところ、<証拠>によると原告らは昭和三四年七月一五日被告の了解を得たうえ前記土地を現場詰所用地として大洋建設に賃貸し、ついで同年一〇月六日前記売買残代金の支払を了するとともに同目録記載一、二の土地全部の引渡を受けた事実が認められる。原告村岡本人尋問(第一回)の結果中右認定に反する部分は採用せず他に右認定を左右するにたる証拠はない。右事実によると前記申請書が返戻された当時すでに原告らは芳松から右土地の引渡を受けたうえ自らの責任においてこれを大洋建設に賃貸していたものというべきであるから、かりに肥料溜の撤去未了について芳松の責に帰すべき事由があつたとしても、芳松が前記申請書の返戻について責を負うべきいわれはない。
(三) 次に昭和三八年五月二四日に至るまで同目録記載一、二の土地について農地法五条に定める所有権移転の許可がなされなかつたことにつき芳松がその責を負うべきか否かについて判断する。<証拠>によれば、前記申請書の返戻後原告らは芳松の協力を得て昭和三六年一二月二五日頃前記肥料溜の所有者である樽井修ほか八名から右肥料溜の撤去の承諾を得るとともにその頃前記大洋建設から前記現場詰所用地の返還を受けたが、長年に亘り右土地の耕作を怠つていたため旧農地への原状回復等に日時を要した結果、昭和三八年二月四日に至るまで前記許可申請手続がなされなかつたことが認められる。前掲乙第三、六号証の各一部および原告奥田、被告笹部芳松(第一回)各本人尋問の結果中右認定に反する部分は信用しがたく、他に右認定を左右するにたる証拠はない。そうだとすれば同目録記載一、二の土地の一部を大洋建設に貸与していたのが原告らであることは前叙のとおりであるから、旧農地への原状回復に日時を要したとしてもそれは専ら原告らの責に帰すべき事由によるものであり、これについて芳松が責を負うべきいわれはない。
(四) 次に昭和四〇年一一月八日の前記和解に至るまで芳松が同目録記載一、二の土地の所有権移転登記手続を拒絶したことの当否について判断する。<証拠>によると、昭和三八年初原告らが芳松に対し農地法五条に定める所有権移転許可申請手続をするよう求めたところ、芳松は当時前記土地の時価が一坪当り約二〇、〇〇〇円に騰貴していることを理由として前記売買代金額を約二、〇〇、〇〇〇円増額するよう要求したこと、芳松の右要求に対し原告らは右売買代金の変更については右申請手続完了後改めて考慮することを約したので芳松も右申請手続に同意したこと、そこで原告らは同年五月二四日大阪府知事の許可を得たうえ芳松に対し右土地の所有権移転登記手続を求めるに至つたこと、一方芳松は原告らの言を信じ原告からの協議の申出もしくは代金額の増額回答を心待ちにしていたが、右申出もしくは回答のないまま前記手続を要求されるに至つたため、原告らの右要求を拒み、ついに昭和三八年七月に原告ら主張の訴訟が提起されるに至つたこと、右訴訟において芳松は、「同目録記載一、二の土地の売買契約は農地法五条の不許可を解除条件とするものであるところ、昭和三四年一一月二〇日に前記許可申請が却下されたため右売買契約は失効しておりその後新な売買契約も成立していないこと、かりにそうでないとしても原告らは昭和三四年一〇月六日芳松に対し右売買に伴つて賦課される譲渡所得税の支払に充てるため税額から一〇〇、〇〇〇円を差引いた金員を芳松に交付することを約しながら未だにこれを支払わないから芳松は原告らに対し前記登記をする義務がないこと」を理由として右請求を争つたが、結局芳松の右主張はいずれも理由がないものとして排斥され、前記の如く芳松に対し移転登記手続を命ぜられたものであることが認められる。ところで農地の売買は知事の許可を効力発生要件とするものであるから、右の許可が得られない場合すなわち転用許可申請が不許可に確定すれば原告らと芳松との間の前記売買契約は無効に帰するわけであるが、前記のごとく原告らが昭和三四年一一月五日になした許可申請は大阪府知事により不許可処分に付されたものではなく豊中市農業委員会において原告らに対し所定の要件をととのえたうえ再申請するよううながして申請書を返戻したにすぎないものであるから、これをもつて前記売買契約が失効したものということは到底できず、右契約は大阪府知事の許可を効力発生要件として存続しているものというべきである。そしてすでに成立している右契約の内容を変更するには当事者の合意が必要であるところ、前記認定事実によれば原告らにおいて芳松の後記代金増額の申入を確定的に承諾したものとはいえないから、原告らは芳松の右代金額増額の要求に応ずべき義務はないものというべきである。また原告らが昭和三四年一〇月六日芳松に対し同目録記載の土地の売買に対して賦課される譲渡所得税の支払に充てるため右税額から金一〇〇、〇〇〇円を差引いた金員を芳松に交付することを約したことは当事者間に争いがないが、本件のごとき農地の売買において農地法五条に定める大阪府知事の許可ありしだい所有権移転登記手続をすることを内容とする契約にあつては、所有権移転登記をなすべき際に右税額が確定していることは通常ありえないことであるから、所有権移転登記がなされるのと引換に右金員を支払うことは事実上不可能であつて、所有権移転と右金員の支払とが同時履行の関係にあるものと解することは到底できず、したがつてこの点に関する被告らの主張も理由がない。以上の事実に徴すると芳松は同目録記載一、二の土地について農地法五条に定める大阪府知事の許可があつた昭和三八年五月二四日頃には前記仮登記にもとづく本登記手続をなす義務を負つていたものというべきであり、芳松が前記のごとく所有権移転登記手続を拒絶したことについて同人に過失がなかつたとは到底いいがたいから、芳松は前同日以降右所有権移転登記を遅延したことにより原告らに蒙らせた損害を賠償すべき義務があるものというべきである。
三 次に原告らが前記所有権移転登記手続請求訴訟遂行のために支出した弁護士費用および報酬金について芳松に損害賠償義務があるか否かについて検討する。芳松が原告に対し右所有権移転登記手続を拒否したため原告らが昭和三八年七月前記訴訟を提起したところ芳松がこれに応訴したこと、芳松は大阪地方裁判所が昭和四〇年四月一六日に言渡した原告勝訴の判決を不服として大阪高等裁判所に控訴したが、同年一一月八日原告らと芳松のとの間において訴訟上の和解が成立したこと、は前叙のとおりいずれも当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、原告らは右訴訟の追行を弁護士長岡徳茂に委任し、同人の死亡後は弁護士稲垣利雄に右追行を委任したこと、原告らは昭和三八年七月一日弁護士長岡徳茂に着手金および費用として金二二〇、〇〇〇円、昭和三九年四月一四日弁護士稲垣利雄に費用として金五〇、〇〇〇円、昭和四〇年六月一八日同人に控訴費用および手数料として金五〇、〇〇円をそれぞれ支払つたことが認められ、右認定に反する証拠はない。ところで前記訴訟における芳松の主張の認め難いことは前叙の通りであるが、芳松が原告らの訴訟に応訴したのは、前述のとおり原告らが芳松の売買物件の値上りに伴う売買代金増額の要求に対し後で改めて考慮すると答えこれを受け入れる余地があるかのごとき口吻をもらしながら、結局は右要求に応じなかつたことによるものであり、原告らに対しその再考を求めるためのものであるから、かかる事実関係のもとにおいては芳松の右応訴をもつて専ら引きのばしをはかるための不当応訴としてこれを不法行為と断定することはできず、他にこれを不法行為と認めるに足る証拠はない。
四 次に原告の請求原因(四)の点について判断する。<証拠>によると、芳松は昭和二四年頃田中の代理人田中嘉治との間において、田中所有にかかる別紙目録三記載の山林と芳松所有にかかる同目録記載二の土地のうち里道に沿う部分を交換し、右山林の所有権を取得していたが互に所有権移転登記を経由しないまま放置していたたため、芳松は原告らとの前記売買に際し、右事情を説明したうえ右里道に沿う部分の土地については原告らにおいてあらためてこれを田中から買取ることを求め、原告らもこれを了承していたこと。一方田中も右三の山林の所有権が芳松に存することを認め前記里道に沿う土地の代金と引換に原告らに対し右三の山林の所有権移転登記手続をとることを了承していたこと、しかるに原告らは昭和三七年七月二〇日に至るまで右代金を支払わなかつたため右山林の所有名義はいぜんとして田中のままにつていたところ、原告らは田中から同日前記里道に沿う土地の代金の請求を受けたため同日代金一八八、〇〇〇円を田中に支払つてそれを田中から買受け形式上は右三の山林についての不動産売買契約書を作成するに至つたこと、以上の事実が認められる。<証拠判断略>。右認定事実によると原告らが田中に支払つた代金一八八、〇〇〇円は右三の山林の売買代金として支払われたものではなく、別紙目録記載第一の土地のうち前記里道に沿う部分の代金として支払われたものというべきであり、原告らが右里道に沿う土地の代金を田中に支払わなければならないものであることは前叙認定のとおりであるから、原告らが右山林の代金を芳松および田中に重複して支払つたことを前提とする原告らの前記主張はその余の点を検討するまでもなく失当として棄却を免れないものである。
五 そこで被告らの抗弁について判断するに、原告らが昭和三八年七月大阪地方裁判所に別紙目録記載一、二の土地の所有権移転登記手続請求訴訟を提起したところ、大阪地方裁判所が昭和四〇年四月一六日原告らの請求を全部認容する旨の判決を言渡したため、芳松はこれを不服として大阪高等裁判所に控訴したこと、しかるに右訴訟係属中の昭和四〇年一一月八日原告らと芳松との間において、「芳松は原告らに対し昭和四〇年一一月二二日かぎり同目録記載一、二の土地につき大阪法務局豊中出張所昭和三四年一〇月七日受付第一四一三八号所有権移転請求権保全仮登記にもとづく所有権移転の本登記手続をすること、原告らは右登記と引換に芳松に対し前記譲渡所得税の支払に充るてるため金二三〇、〇〇〇円を支払うこと、訴訟費用は第一、二審とも各自の負担とすること」との訴訟上の和解が成立したことは、当事者間に争いがない。ところで訴訟上和解がなされる場合には一般に当事者間において生じた紛争が全面的に解決されるのが通常であるから、本件の場合にも特段の事情がない限り所有有権移転登記に基づく損害の如きものについても当然にこれを含めて和解がなされたものと解すべきところ、本件和解の際特に右の損害の点についてだけはこれを除外する旨の留保約款が存在したような事実は窺われないのみならず、却つて右和解調書には原告らは芳松に対し金二三万円の支払を約した旨の記載があるほか訴訟費用はそれぞれ各自の負担とされているのにかかわらず右損害の点については何の記載もないのでるから、被告らとしては所有権移転登記が遅れたことにより損害を蒙つていたとしても右和解の際それらをすべて放棄したものとみるのが相当である。<証拠判断略>。
そうだとすれば原告らが請求原因(二)において主張する損害の請求はその額につき判断するまでもなく理由がないものというべきである。
(谷野英俊 福井厚士 棚橋健二)